No.1020 訃報
古いソースの話なんだけどさ、FDの作者、出射厚氏が、昨年の11月に逝去されていたそうです。
GUIからPCを始めた人たちには何のことだかわかんないだろうけど、少なくとも僕がMS-DOSを使っていたころは、FDを使っていたなぁ。
HFとかもあったけど、個人的にFDはcomファイルの駐在型だったからどんなマシンでもさくさく動いた気がする。
ここから昔話ねw
同時はNECのPC-9801RXにCyrixの486DLC(25MHz)に換装したDOS5.0+Win3.1マシンとCompaqのContura 4/25(Aeroではない)を使っていた。
当然、MSからもWindows2.11とかDosShellとかもあった気がするが、使いやすさではFDだった記憶がある。これと同時に使用していたのが、VZエディタとWtarmだったかな。
当時僕は大学4年目で、マイクロ波関係の研究室に配属されたのに、卒研はなぜかVC++1.0を使った人工生命(Artifical Life)だった。FortranとかCOBOLは少しはかじったことがあったけど、C言語は初めてで、さらにWinのAPPなんてのは
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って状態だった。
このときちょうどNiftyでパソコン通信(当然インターネットなどではない)でFwinFフォーラムでチャットをしながら相談させてもらっていたのが、「秀まるお」さんや「おおにし」さんである。
多分、俺のことは絶対覚えていないだろうけどね(笑)
そういえば、先日ヤフオクでConturaが出展されていて、思わずほしくなっゃったんだけどAeroだったし、結局入札することも無く終わってしまった。
Conturaって僕のノート初代機になるんだよね。たしかCyrixの486SLC(25MHz)かなんかに8.4インチのSTNモノクロ液晶、RAMは4MBで当然HDDなんか無い。
これを帰省時の列車の中で起動して、VZエディタでC++のソースを書いていた。
俺って、時代の先駆けやんw
車内の周りには当然ノートPCなんて広げている奴はいなかったし、好奇の目?で見られていたと思う。
隣の知らない親父の不思議そうな目は今でもよく覚えている(笑)
このときファイルの管理をしていたのがFDだったのよ。というわけで、訃報を聞いて懐かしく思っちゃったんで、思わす日記に書いてしまったというわけ(苦笑)
昨日は結局嫁はんの実家に泊まることになった。Audi松本やハードオフまで行ったので、嫁はんの実家にも顔を出す事にしたからだ。
Audi松本に行ったのは12ヶ月点検の予約のためで、14日に点検に入る事になった。